■マックスファクター 日本でのあゆみ

1953年、その製品力と映画産業への影響力からすでに噂になっていたマックスファクターがついに上陸。日本支社が正式に発足します。

日本市場を攻略するのに当たって重視されたのは、"郷に入っては郷に従え"。

販売会社を通じて、契約したお店に商品をおろし、カウンセリング販売をする、いわゆる「制度品」(資生堂、カネボウ、コーセーなど)として展開されました。

また、外資系企業にも関わらず、日本での国内生産をスタートします。

アメリカ発の最先端ビューティーを届けながら、日本社会に合わせて、終身雇用制度や退職金制度などを導入。非常に日本的な会社として発展していきます。

そして1959年、日本のマーケティング史上に名を残す「ローマンピンク」キャンペーンを実施。

「ローマンピンク」は、シーズンごとに新しいカラーを提案する化粧品プロモーションの第1弾で、それまで口紅といえば、赤と決まっていた女性達の常識に、初めてトレンドカラー(ピンク)の提案をしました。

また、異業種コラボレーションの元祖とも言われており、高島屋、旭化成、現東レなどと共同で、「ローマンピンク」カラーをプロモーション。

日本における初めての大規模な化粧品キャンペーンで、日本人に新しい化粧意識を目覚めさせました。

続いて、1965年。日本初のアイメークアッププロモーション「ファッシネイティングアイズ」を展開。それまでタブー視されていたアイメークの楽しさを広げ、ファッションリーダーとしての地位を確立します。

そして、1930年代後半に開発された「パンケーキ」が約30年の時を経て、60年代後半に日本で大ヒット!

強いライトなど過酷な映画の撮影現場と同じくらい過酷な高温多湿の日本の夏。水使用でひんやりさわやか、汗、水に強い「パンケーキ」こそぴったりだ!と、日本支社のアイデアからプロモーションがスタートしました。

それまでなかったサマーファンデーションというジャンルを生み、他社も類似商品を投入、夏の化粧品商戦の火付け役となりました。