■息子フランシスとパンケーキを開発

現在、パンケーキと聞くと、お菓子を連想しがちですが、数十年前まで、パンケーキと言えば、マックスファクターの崩れにくいファンデーションを連想する方が多数派だった時代があります。

マックスと共に働き始めていた息子たちの一人、フランシス(後のマックスファクター2世)と共同で1937年に完成させたのが、当時最先端だったテクニカラー映画のために開発されたパンケーキ(固形のファンデーション)です。

これはコンパクトに入ったケーキ状のファンデーションで、水で濡らしたスポンジにとると、クリーミーな感触で肌にぴたっと密着。

カラー映画でも映える、美しい肌色を演出するのはもちろん、強いライトや高温などの激しいシーンでも崩れにくい画期的なファンデーションでした。

映画『風と共に去りぬ』でも使用され、激しい炎上シーンでも見事なほど美しい肌をキープ。さらにマックスファクターの名を不動のものとしました。

■パンケーキ大ヒット そしてマックスの旅立ち

"どんなときでも美肌を演出できる女優のファンデーション"

「パンケーキ」は評判を呼び、日常生活でも使いたいと思った女優達は、撮影現場からこっそり持ち帰るという珍事が多発します。

そして、それまでメークアップは、演劇関係者やいわゆる"夜のお仕事"の人たちがするもの。と、あまり好ましく思われていなかった一般人の意識をも変え始めます。

「映画女優のように美しく装いたい」

そう思い始めた一般の女性たちの間で、「パンケーキ」を中心としたマックスファクターの化粧品が大ヒットします。

しかしながら、マックスファクターは、1938年「パンケーキ」発表の翌年、『風と共に去りぬ』の公開前に他界。

世の中へ大きなインパクトをあたえた「パンケーキ」の大成功を見届けずに、旅立ったことになりますので、とても残念なことだったと思います。

そして、マックスファクターの情熱は、息子(フランシス)に引き継がれ、フランシスは公式に自身の名前をマックスファクター2世(ジュニア)へと改名。

1940年代、マックスの子供たちを中心に更なる飛躍を遂げていきます。

■マックスファクター2世も偉大

父の意思を受け継いだ、マックスファクター2世も多くのアナザーファースト(まだ市場に存在していない画期的なもの)を開発していきます。

例えば、落ちにくい口紅や発展し始めたテレビ用のメークアップ。パンスティック(スティックファンデ)にコンシーラー、マスカラやクリームパフ(パウダーファンデ)など、現在私たちが使っている化粧品の元祖とも言える商品を次々と開発していきます。

さらに商品の魅力を日本も含めた、世界中へと拡大、国際化にも力を入れていきます。